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海に最も近い駅・千綿駅と大村湾に沈む夕日

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長崎空港がある大村から、JR大村線でも国道34号でも、20分弱で千綿駅に着きます。この駅については、「旅先案内」の記事( 海の見える千綿駅とそのぎ茶で有名な町 )にも書いていますので、暖簾分けしたこちらは再登場となります。 千綿は、もともと長崎街道25宿の松原宿(大村市)と彼杵宿(東彼杵町)の間宿(あいのしゅく)だった所です。宿駅として商工業が栄え、宿場であった約400mの街道筋には江戸時代の住宅も残り、長崎県の景観資産に指定されています。 1928(昭和3)年開業の千綿駅は、海の見える駅として知られ、2014(平成26)年には青春18きっぷのポスターになりました。そのキャッチは「18時16分 小さな改札をくぐった。大きな夕日が迎えてくれた。」でした。「海とホームが日本一近い駅」とも言われる千綿駅。遮るものなく見られる、大村湾に沈む夕日は、確かに格別です。 東彼杵町役場商工観光係がYoutubeにアップしていた動画(オリジナル→ https://www.youtube.com/watch?v=bf_v_zV8l6Y )を編集して、一部早送りにしたので、埋め込んでおきます。ちなみに、動画の説明には、「列車が傾いて停まる駅としては日本一美しい夕景だと長距離トラックドライバーさんのお墨付きです。映画ロケとタモリ倶楽部様お待ちしています。ちなみに各停とイベント列車しか停まりません」とありました。「列車が傾いて停まる駅としては」というのが気になりますし、長距離トラックドライバーさんって誰よ、とツッコミたくなりますが、青春18きっぷのポスターより夕日が際立っているので、良かったらチラ見してください。 で、「旅先案内」の記事にも書きましたが、現在の駅舎は、開業当時の駅をイメージして、1993(平成5)年に建て替えられたものです。ホームは、大村湾の海岸線に沿って設置されているため、カーブしており、そのため「列車が傾いて停まる駅」ってことになるわけです。 駅は、私が行った当時は無人駅で、何もありませんでしたが、16年から、東彼杵町のまちおこしグループ「長咲プロジェクト協議会」が管理業務を担当。現在は、佐世保から移住してきた湯下龍之介さん、香織さんご夫婦が、駅舎の業務管理責任者を兼ねて、「千綿食堂」という名の小さな食堂を運営しています。

鉄道のある風景 記事一覧

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●長崎県 千綿駅 海に最も近い駅・千綿駅と大村湾に沈む夕日 長崎空港がある大村から、JR大村線でも国道34号でも、20分弱で千綿駅に着きます。この駅については、「旅先案内」の記事( 海の見える千綿駅とそのぎ茶で有名な町 )にも書いていますので、暖簾分けしたこちらは再登場となります。→ つづきを読む ●熊本県 長陽駅 100年近い歴史を刻む木造駅舎のシフォンケーキ屋さん 千綿駅の記事を書いていて、趣のある木造駅舎に喫茶店が営業する駅が、南阿蘇にもあることを思い出しました。南阿蘇鉄道高森線の長陽駅です。1928(昭和3)年2月、旧国鉄時代に豊肥本線の支線として、南阿蘇村の立野と高森町の間を結ぶ路線が開業。→ つづきを読む ●北海道 長万部駅 函館本線長万部駅の名物駅弁「かにめし」 いつだったか忘れましたが、函館から札幌へ特急列車で移動した時のこと。途中の長万部駅で、名物駅弁の「かにめし」を買ったことがあります。私の中では、カニの駅弁というと、この長万部の「かにめし」を一番最初に思い浮かべます。→ つづきを読む ●青森県 木造駅 遮光器土偶をかたどった木造駅の巨大オブジェ 記事を書いた2022年3月1日から東京国立博物館で、「縄文時代の祈りの道具・土偶」が展示されていました。縄文時代の祈りの道具の代表「土偶」を取り上げたもので、9月4日まで、約半年にわたって平成館考古展示室に展示されます。→ つづきを読む ●岩手県 ほっとゆだ駅 全国的にも珍しい温泉付き駅舎 横手のかまくらを取材した後、JR北上線で西和賀町を訪問した話を「旅先案内」の記事(岩手県一の豪雪地帯西和賀町の冬)に書きました。その際、下車したのが、「ほっとゆだ」駅でした。ほっとゆだ駅は、全国でも例を見ない温泉付きの駅舎です。→ つづきを読む ●福島県 湯野上温泉駅 大内宿を彷彿させる茅葺き屋根の駅 会津美里町で本郷焼の取材をした際(大人気漫画の聖地で出会った謎の看板)、新白河駅でレンタカーを借り、国道289号と121号経由で会津美里町へ入りました。その記事にも写真だけ入れましたが、会津美里へ向かう途中、新白河駅から約45kmの地点に・・→ つづきを読む ●福島県 桑折駅 新幹線と在来線が同じ高さで見える桑折駅のイルミネーション 「やべぇ! 桑折が栄えてる」東北...

100年近い歴史を刻む木造駅舎のシフォンケーキ屋さん

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千綿駅の記事を書いていて、趣のある木造駅舎に喫茶店が営業する駅が、南阿蘇にもあることを思い出しました。南阿蘇鉄道高森線の長陽駅です。 1928(昭和3)年2月、旧国鉄時代に豊肥本線の支線として、南阿蘇村の立野と高森町の間を結ぶ路線が開業。その際、もともとあった立野駅に加え、長陽、阿蘇下田、中松、阿蘇白川、高森の各駅が新設されました。その後、同年12月に豊肥本線が全通したことに伴い、立野 - 高森間は高森線として分離されました。 しかし、赤字路線となり、1981(昭和56)年に第1次特定地方交通線として廃止が承認され、バスへの転換案が提示されました。これに対して、地元では存続運動を展開。7町村の出資(99.5%)によって、85年に第三セクター「南阿蘇鉄道」(愛称「南鉄」)が設立され、86年から営業を開始しました。 転換当初は、旧国鉄高森線時代の6駅でしたが、日本一長い駅名を誇る「南阿蘇水の生まれる里白水高原」や、名水百選に選ばれた白川水源の最寄り駅「南阿蘇白川水源」など10駅にまで増え、地域住民の交通手段としてだけではなく、阿蘇観光にも利用されるローカル色豊かな鉄道となっています。 そんな中で、長陽駅には2006(平成18)年、駅舎内の喫茶店「久永屋」が開業。店主の久永操さんは佐賀県の出身だそうですが、ご両親が南阿蘇に移住した関係で、南阿蘇で仕事をするようになりました。 駅舎を店舗にするまでには紆余曲折があったらしいのですが、長陽地区出身の村長を始め役場の方たちの協力もあり、外装改修と構造補強は村で、内装工事は自費で施工し、開店にこぎ着けました。看板メニューは、「久永屋の唯一の資本」と言われたことから命名した「資本ケーキ(シフォンケーキ)」。国産の無漂白小麦とサトウキビ100%の粗糖を材料に、添加物や保存料は使わない自然派のケーキを作っています。 ただ、喫茶店をオープンするのは土日祝日限定で、ふだんはシフォンケーキ屋として営業しています。お取り寄せも出来るので、気になった方はサイトを覗いてみてください。→ http://choyoeki.shop-pro.jp/ ちなみに南阿蘇鉄道は、2016年4月の熊本地震で大きな被害を受け、一時、全線運休となりました。その年7月31日から、高森駅と中松駅の間5駅、7.1kmで運転を再開しましたが、中松〜立野間は依然として運休が続い...

函館本線長万部駅の名物駅弁「かにめし」

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いつだったか忘れましたが、函館から札幌へ特急列車で移動した時のこと。途中の長万部駅で、名物駅弁の「かにめし」を買ったことがあります。私の中では、カニの駅弁というと、この長万部の「かにめし」を一番最初に思い浮かべます。 ある時、交通新聞社のウェブマガジン『トレたび』で、「日本全国駅弁の旅」という企画を見つけました。その第11回がカニ駅弁で、リードは次のようなものでした。 「昭和27年に初めて販売されて以来、根強い人気を誇るのがカニ駅弁。今回は、カニ好きの、カニ好きによる、カニ好きのための特集をお届けします!」 そして、北海道・釧路駅のたらば寿し、石川県・加賀温泉駅のかにすし、鳥取県・鳥取駅の元祖かに寿し、兵庫県・豊岡駅と城崎温泉駅の城崎のかにずし、福井県・福井駅などの越前かにめしの5点が紹介されていました。 あれ? 長万部の「かにめし」がないじゃない・・・。『トレたび』は、1952(昭和27)年発売開始の元祖かに寿し(鳥取駅)を最初のカニ駅弁としていますが、長万部の「かにめし」は、それより2年前の1950(昭和25)年に駅弁として販売を始めてるんですがね。 というわけで、専門の交通新聞社でさえ、追い切れていないのか、と思いきや、同じ『トレたび』の「旅行ガイド」という別企画に掲載された記事には、「カニを使った駅弁は各地で発売されているが、元祖は長万部『かにめし本舗かなや』の『かにめし』」と、きっちり書かれていました。 かにめし本舗かなやは、昭和初期に、鉄道交通の要衝として栄えた長万部駅で、弁当を販売していた長万部駅構内立売商会(1928[昭和3]年創業)が前身です。かにめしは、第2次世界大戦直後、食糧難で弁当の食材が入手困難だったことから、噴火湾でとれた毛ガニを塩ゆでし、弁当の代わりにホームで立ち売りしたのが始まりです。 しかし、「煮かに」は毛ガニの漁期以外には販売出来なかったため、カニのおいしさを1年中味わってもらえるようにと、何度も試作を重ねた末、1950年に完成。駅弁「かにめし」として販売をするようになりました。最盛期の昭和30年代には、15人の売り子がホームに並んだといい、長万部の「かにめし」は、一躍、北海道の名物となりました。 それが今年になって、北海道新幹線の札幌延伸に伴い、函館本線長万部~余市間の廃止が確定。函館~長万部間の存続も厳しく、北海道新幹線並行在...

遮光器土偶をかたどった木造駅の巨大オブジェ

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記事を書いた2022年3月1日から東京国立博物館で、「縄文時代の祈りの道具・土偶」が展示されていました。縄文時代の祈りの道具の代表「土偶」を取り上げたもので、9月4日まで、約半年にわたって平成館考古展示室に展示されます。 展示品は、東北や関東で出土した土偶など17件で、重要文化財4件、重要美術品2件が含まれます。中でも青森県つがる市木造亀ケ岡遺跡から出土したものが多く、しかもそのうちの遮光器土偶と土面は重文、猪形土製品が重美となっています。 そのつがる市木造に友人がおり、だいぶ前に訪問させてもらったことがあります。北海道・函館での取材後、青森にも仕事があり、青函トンネルを潜って青森へ渡った際、友人が迎えに来てくれ、つがる市にお邪魔しました。 友人は、車で迎えに来てくれたんですが、自宅から800mほどの所にある駅へわざわざ連れて行ってくれました。鉄道マニアでもないので、なんで?と思ったのですが、駅前に着いて理由が分かりました。 写真の通り、駅舎の前面に、遮光器土偶の巨大オブジェが張り出していたのです。 なんでも1987(昭和62)年の国鉄分割民営化で木造駅の無人化が決まる中、なんとか駅を中心とした活性化策をと、ふるさと創生事業の1億円を活用して駅舎を改築したそうです。デザインに遮光器土偶を選んだのは、亀ケ岡遺跡のPRも兼ねていましたが、この巨大オブジェを付けたこともあって、費用は2倍強の2億1200万円がかかったとのこと。 しかし、これだけの駅なので、「一度は訪れたいちょっとすごい駅」とか珍スポット、面白駅など、当然注目を集めています。 ただ、駅に列車が入って来る3分前から3分間、目が赤く光ったりして、当初は子どもたちを中心に、周辺住民から「怖い」と恐れられていたようです。3分間光らせるというのは、ウルトラマンのカラータイマーみたいな発想だったんですかね。それはともかく、実際に住民からのクレームもあり、その後は観光客などから要望があった時のみ、手動で光らせるようになりました。 しかし、時間の経過と共に、巨大オブジェはだんだんと町に浸透。愛着さえ湧いてきて、今では町のシンボルとなり、「シャコちゃん」の愛称で呼ばれています。そして誕生から30年近くが経過した2020年4月、駅舎の補修工事と共に、シャコちゃんの目もLEDライトに転換。併せて、以前の赤1色から、7色に変化する...

全国的にも珍しい温泉付き駅舎・ほっとゆだ駅

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横手のかまくらを取材した後、JR北上線で西和賀町を訪問した話を「旅先案内」の記事( 岩手県一の豪雪地帯西和賀町の冬 )に書きました。その際、下車したのが、「ほっとゆだ」駅でした。  ◆ ほっとゆだ駅は、全国でも例を見ない温泉付きの駅舎です。ただ「温泉付き」とはいえ、外に出て駅舎を眺めると、どう考えても、併設の温泉の方がメインに見えます。湯田温泉峡のシンボルとしての存在感は確実にあるようです。 湯田温泉峡には、湯本温泉、湯川温泉、大沓温泉、巣郷温泉があり、20軒ほどの宿が営業しています。この他、駅の温泉「ほっとゆだ」を含め、日帰り温泉が10箇所あります。 ちなみに駅舎内の「ほっとゆだ」は、源泉かけ流しで、午前7時から午後9時の営業。大浴場には信号機が設置してあり、青・黄・赤の色で列車が近づいたことを知らせてくれます。というわけで、私も帰りに入ってみることにし、まずは目的地の錦秋湖へ向かいました。  ◆ ほっとゆだ駅については、こんな記述でしたが、駅は元々1922(大正11)年に、横手を起点とする国鉄西横黒線(にしおうこくせん)の終点・陸中川尻駅として開業しました。西横黒線はその後、24(大正13)年に陸中川尻まで延伸した東横黒線に編入され、横黒線に線名を変更。岩手県の黒沢尻駅から秋田県の横手駅を結ぶ路線として開業しますが、54(昭和29)年に黒沢尻町が周辺の6村と合併して北上市になったのを機に、黒沢尻駅を北上駅に改名し、66(昭和41)年には線名も北上線に変更されました。 国鉄民営化後、陸中川尻駅は、旧湯田町が費用の3分の2を負担して、木造2階建ての新駅舎を建てました。また、湯田温泉峡を持つ町のPRと活性化も兼ねて温泉を掘り、89(平成元)年4月1日、温泉付き駅舎のほっとゆだ駅として運用を開始しました。 温泉施設ほっとゆだの入浴料は大人440円、子ども260円で、1600円で利用出来る貸切風呂もあります。私は、錦秋湖の雪景色を撮影した後、列車の待ち時間を利用して「ほっとゆだ」で冷えた身体を温めましたが、中にはわざわざ途中下車をして温泉に入る好き者もいるようです。 まあ確かに、鉄道好き、温泉好き、どちらにとっても、行ってみたいスポットではあるでしょうね。それに私のような、鉄道、温泉にこだわりのない単なるミーハーも、近くに行ったら、寄ってみたくなること請け合いです。 ちな...

大内宿を彷彿させる茅葺き屋根の駅 - 湯野上温泉駅

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会津美里町で本郷焼の取材をした際( 大人気漫画の聖地で出会った謎の看板 )、新白河駅でレンタカーを借り、国道289号と121号経由で会津美里町へ入りました。その記事にも写真だけ入れましたが、会津美里へ向かう途中、新白河駅から約45kmの地点に、湯野上温泉駅があります。 この駅は、1932(昭和7)年に国鉄会津線の湯野上駅として開業しました。民営化後の87(昭和62)年、会津線がJR東日本から第三セクターの会津鉄道に転換、駅名も湯野上温泉駅に改称されました。更にその年12月には新駅舎が完成しましたが、これが全国でも珍しい茅葺き屋根の駅舎で、鉄道マニアだけではなく、一般の観光客も多く訪れる駅となりました。 湯野上温泉駅は、観光スポットである大内宿( 江戸期会津の面影を今に残す街道の宿場町 )の玄関口で、茅葺き屋根も、そんな大内宿の街並みに合わせて葺き替えられました。また、待合室には茅につく虫を煙で追い払うための囲炉裏があったり、駅舎の隣には足湯があったりして、訪れる人を癒やしてくれます。 更にこのスポットは、会津の桜の名所ともなっており、ホーム沿いの桜並木が一斉に花を咲かせる春には、写真愛好家や鉄道マニアを始め、多くの観光客で賑わいます。福島民報が定点で撮影した春の動画があるので、例によって一部早送りして編集したものを埋め込んでおきます。