ミッションSK(スーパーこまち)発動
2025年3月6日、東北新幹線の東京発新青森・秋田行き「はやぶさ・こまち21号」が、上野駅を発車した直後に、はやぶさとこまちの連結が外れ、自動的にブレーキが作動し非常停止しました。JR東日本は、事の重大性から当面の間、秋田新幹線及び山形新幹線において連結での運行を中止。その後、連結部を固定する機械を取り付けるなどの対策を施し、14日から順次、運行を再開しました。
今回は、その秋田新幹線についてのお話です。
秋田新幹線「こまち」は、1997年3月22日に開業しました。列車名は、一般公募の結果、秋田を連想させ好感があるといった理由で第1位の得票数を獲得した「こまち」が選ばれました。秋田県湯沢市(旧雄勝町)に生まれたと語り継がれる小野小町が由来とされています。
お米の「あきたこまち」の由来も小野小町ですが、彼女が美人だったというところから、美しい娘のことを○○小町などと呼ぶほど、日本中に定着した名称となっていますね。
ところで、初代こまち(E3系)は、白い車体にピンクのラインが入っており、デザインしたのは工業デザイナーの栄久庵憲司氏でした。その後、2013年3月16日に営業運転を開始した新型車両E6系は、フェラーリのデザインにも関わった工業デザイナー、カーデザイナーの奥山清行氏が監修しました。
奥山氏は、秋田のイメージとして「竿燈まつり提灯」や「なまはげ」が浮かび、そこから赤を連想し、日本の伝統色である「茜色」を採用。ノーズ部から車体上部にかけて「ジャパンレッド」と呼ばれる赤色を取り入れました。
2011年の東日本大震災以来、東北新幹線を利用する機会がかなりあり、E6系がデビューした13年3月から2カ月の間にも4回、東北へ取材に行っています。が、ジャパンレッドのスーパーこまちを初めて見たのは、6月19日のこと。しかも、私が乗車したのは、はやぶさの方で、大宮駅に入線して来た時にチラ見しただけでした。
で、そのことをSNSに投稿したところ、岩手県に住む知人から、「新車両のトイレは知り合いの会社が製造しているのだそうです。会社の名前は表面には記載されてないとのことで残念ですが、トイレご利用の感想を教えてください」とコメントが付きました。ただ、私の目的地は宮城県名取市で、そのコメントが付いた時には、既に乗り換えのため仙台で降りてしまっていました。
そこで、「残念ながら、私ははやぶさ側でした。それに、はやぶさからスーパーこまちへはちょっとやそっとでは移動出来ません。では、いつか秋田へ行くときに・・・トライ」と返信。この時からミッションSK(スーパーこまち)が発動しました。その後も毎月、被災地取材は続きましたが、「ジャパンレッド」のスーパーこまちに初乗車したのは、更に3カ月後の9月20日のことでした。で、この時も「ジャパンレッドのスーパーこまち初乗車。何か車内で調べることがあった気がするが・・・忘れた」と、SNSに投稿。すると早速、岩手の知人が「トイレ」と。
それによって、ようやくミッションSKを思い出した私、トイレへと向かい、写真を取って参りました。そして写真と共に、「奇麗というよりやけに広いんですけど。。。ユニバーサルデザインってやつ? ドアはよく東北の電車に付いている開閉ボタンで開け閉めします」と投稿し、ミッションを完了させたのでございます。
ちなみに14年3月15日のダイヤ改正で、「こまち」号に充当されていたE3系からE6系への置き換えが完了し、列車名を「こまち」に統一したことから、「スーパーこまち」の名称は消滅しました。
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