高崎駅の鶏めし弁当とだるま弁当


昨日は4月10日の「駅弁の日」にからめ、諸説ある日本初の駅弁について書きましたが、今日はその一つ群馬県・高崎駅説の根拠となっている「たかべん」こと高崎弁当の話です。

「たかべん」の公式サイトによると、同社は1884(明治17)年の創業で、この年5月の高崎線開通に伴いおにぎりの販売を開始したとしています。これは、日本最初の駅弁の定説となっている栃木県・宇都宮駅の駅弁より1年以上早いことになります。が、同社の主張以外にそれを裏付ける資料がなく、それを証明する術はないようです。

高崎弁当は1958(昭和33)年、当時、高崎駅で営業していた3軒の弁当屋が、国鉄の指導の下、合併して誕生しました。3社とは、松本商店、天来庵矢島、末村商店で、松本は1886(明治19)年、矢島は翌87(明治20)年、末村は1906(明治39)年にそれぞれ構内営業者になっています。となると、最も古い松本商店でも駅での営業は公式サイトの創業年より2年後のことなので、はて?となってしまいます。

とりあえず公式サイトの話に寄せてみると、松本商店なり天来庵矢島の創業が1884年であったのではないしょうか。合併前にそれぞれが販売していた駅弁の掛紙を見ると、松本商店も天来庵矢島も高崎駅前にあったようなので、構内営業者となる前に、駅前で何らかの店を出しており、高崎線開通と共に高崎駅を利用する旅客相手におにぎりの販売を始めたというところかもしれません。


古くから高崎市に住んでいる方の話だと、合併後の高崎弁当は、最もやり手だった末村商店が主導権を握るようになったとのことで、公式サイトを見ると現在の社長も末村さんになっていますね。末村商店の創業がいつで、どのような業態だったのかは不明ですが、松本商店、天来庵矢島と合併して高崎弁当になって以降、中心となって活躍した末村商店は現社長の父である末村重雄氏の力が大きかったようです。

末村重雄氏は福岡県の出身で、大牟田市にある県立三池工業高校を卒業。この頃、第二次世界大戦の戦況悪化により徴兵年齢が19歳に引き下げられ、末村氏も終戦間際に中国へ出征し、敗戦により復員した後、1948(昭和23)年に親族が経営していた末村商店に入社しました。そして高崎弁当となって2年後の1960(昭和35)年には社長に就任し、その直後に同社の代名詞とも言える「だるま弁当」を販売、全国屈指の人気駅弁に育て上げました。

ちなみに、1934(昭和9)年の販売開始から90年という同社のロングセラー駅弁「鶏めし弁当」は、末村一族が福岡県出身だったことから九州の郷土料理「かしわめし」をヒントに考案。今では、秋田県・大館駅の「鶏めし弁当」(花膳)、福岡県・折尾駅の「かしわめし」(東筑軒)と共に、日本三大鶏めし弁当に数えられています。

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