駅弁の日と駅弁記念日
4月10日は「駅弁の日」だそうです。と言っても、1993(平成5)年から始まったもので、まだ30年ほどの歴史しかないんですな。しかも、「弁当」の「当(とう)」から10日、「4」と「十」を合成すると「弁」に見えるから、ってんですが、だいぶ苦しい気がします。
で、実はこれとは別に「駅弁記念日(7月16日)」というのもあるんですね。こちらは、日本初の私鉄である日本鉄道が建設を進めていた東北本線第二区線の大宮駅 - 宇都宮駅間の営業が開始された1885(明治18)年7月16日に、栃木県の宇都宮駅で売られた弁当を日本初の駅弁だとしているためです。
ただ、日本初の駅弁に関しては、宇都宮駅説の他に大阪府・梅田駅説、兵庫県・神戸駅説、群馬県・高崎駅説、東京都・上野駅説など諸説があります。そのため、ホントに1885年7月16日が最初なのか、ホントに宇都宮駅が発祥なのか、その確証はないようです。
駅弁記念日になっている宇都宮駅説ですが、これは宇都宮の旅館「白木屋」の主人・斉藤嘉平氏が、日本鉄道の重役の薦めで弁当の販売を始めたというものです。この話は国鉄構内営業中央会が1958(昭和33)年に発行した『会員の家業とその沿革』に載っているらしいのですが、白木屋への聞き取りを元に書かれたもので、それを裏付ける資料は空襲で焼失して残っていないそうです。
また梅田駅説と神戸駅説は、1877(明治10)年の西南戦争が関係しています。当時、官軍は兵隊を神戸港から船で九州へ輸送しており、神戸港へ向かうために兵隊たちが降り立った梅田駅や神戸駅で弁当が売られたのではとする説です。が、仮にそれが本当だったとしても、戦争中の8カ月だけ、しかも兵士限定なので、それを駅弁と呼んでいいのかは疑問です。
高崎駅説の根拠は、だるま弁当で知られる「たかべん」の公式サイトにあります。それによると、たかべんは「1884(明治17)年、創業、上越線の開通に伴いおにぎりの販売を開始」とあり、であれば宇都宮駅説よりも1年ほど早いことになります。ただ、同社の主張以外にそれを裏付ける資料がないのと、なぜ新参者がいきなり駅での弁当販売を任されたのか、不思議ではありますな。※(誤)上越線開通/(正)高崎線開通
一方、上野駅説については、何人かの人がこちらが有力と唱えています。それは、1883(明治16)年12月に日本鉄道から発行された『改正日本鉄道規則及諸賃金明細獨案内』に、各駅構内の店舗一覧が掲載されており、そこに「上野停車場構内瓣當料理 ふぢのや 濱井啓次郎」という具体的な記述があるためです。宇都宮駅説の1885年より2年前の発行で、しかも日本鉄道の公式刊行物だけに信頼性は高いのではというのが根拠となっています。
「♪汽笛一声新橋を」と、新橋駅 - 横浜駅間に日本初の鉄道が走ったのは1872(明治5)年10月14日。もちろん、それまで駅弁なんてものはなかったわけですし、また新橋から横浜の所要時間は1時間弱だったので食事そのものの必要性もなかったでしょう。なので、車内で食べる弁当に特別な注目が集まることもなく、今となっては、いつが日本初の駅弁誕生で、どこが駅弁発祥の地なのかは、藪の中ということになりましょうか。
ところで、弁当から独立して、「駅弁」が単語として成立するようになったのはいつからなんでしょう。
食事を携帯する行為自体は平安時代からあったと言われますが、それが弁当と呼ばれるようになったのは安土桃山時代ではないかとされ、江戸時代には弁当という呼び名が一般的になっていたようです。そして明治に入って鉄道が敷かれ、駅で売られる弁当が登場。で、それを「駅弁」と呼ぶようになるわけですが、それはいつからのことなんでしょうね。
人気アニメ『鬼滅の刃』の無限列車編に登場した弁当屋さんの品書きには「上等辨當 三十六銭」「並等辨當 二十銭」となっていました。鬼滅の刃の時代設定は、大正時代初期の1910年代だそうですが、1922(大正11)年の鉄道省「停車場構内営業人従業心得」によると、上等辨當(参拾五錢)、並等辨當(貳拾錢)、普通鮨(貳拾錢)、サンドウヰツチ(四拾錢)といった種類があったようで、鬼滅の刃もこのあたりを参考にしたんでしょうか。ただ、この頃は「汽車弁当」と呼ばれていて、まだ「駅弁」という言葉は使われていなかったみたいです。
そんな中、1934(昭和9)年6月23日付東京朝日新聞は、この年12月1日から弁当の車内販売が始まることを「旅客の福音」として取り上げ、「スピードアップ、停車時間の短縮でさなきだに困難だった驛弁買ひが・・・」と記事にしています。記事中には「驛弁業者」という言葉もあり、少なくとも昭和初期には「駅弁」という言葉が一般的になっていたことがうかがえます。
ちなみに、1939(昭和14)年5月19日付東京朝日新聞には「驛弁食べ方」というコラムが出ています。コラムでは、「驛で買った弁當を汽車の中で食べるには、大抵はお菜の方を膝の上にのせ、御飯だけを左手に持って前かゞみにしていたゞきますが圖のやうにお菜の方を御飯の上に半分ほど重ねて一緒に持ち、出てゐる部分の御飯を食べ終ったら、又、御飯を持ち変へていたゞくと大変便利です。それにかうすれば前かゞみにならず自然の姿勢でいたゞけます」と、まじめくさって解説していました。
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